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Breve Intermedi(短編・再会後)

トゥオネラの白鳥

 ←「トゥオネラの白鳥」 まえがき →ため息。。。クラシック音楽を無料配信しているOTTAVA、6月末で休止
SSに登場する楽曲、今回はたくさんありますので2曲だけご案内します。

タイトルになっている曲。
「トゥオネラの白鳥」
http://www.youtube.com/watch?v=DRTJt2kDKJ0

アンダンテ・フェスティーヴォ
http://www.youtube.com/watch?v=tbLRkJZPHC0

よろしければ、まえがきもご覧ください。
http://nanamiie.blog.fc2.com/blog-entry-345.html



トゥオネラの白鳥


 カン・マエはウィーンの南にあるグラーツの、コンサートホールの指揮者控室にいた。グラーツはオーストリア第二の都市、ウィーンの自宅までは少々遠いので公演が終わるまでの数日は街の中心にあるホテルに宿泊することになっていた。

 リハーサルを終えて帰途につこうとしたのだが、帰る間際に楽団の事務方が慌てて書類の束を持ってきた。カン・マエは段取りの悪い事務員に「今度はもっと早く持ってくるように」と短くピシリと言い、着ていたコートを脱いで大きな机に向かった。

彼はふっと息を吐くと、メガネをかけ眉間に軽くしわを寄せながら書類にじっくり目を通しはじめた。

グラーツユーゲント管弦楽団の契約は、彼がヨーロッパに復帰して二月ほど経ってから結ばれた。ミュンヘンフィルの常任指揮者に就任するまでの期間、客演は常任につぐ六回が予定されておりこの度は三回目である。

このオーケストラは、若手育成を目的とするオーケストラであり、三十歳以下の若い演奏者を世界各地でオーディションで選ぶ。三年の契約期間の間に古典から現代の作品まで多くの種類を演奏することで経験を積み、その後はそれぞれオーケストラなど別な場所で活動することとなる。


  カン・マエは、ふと今日からメンバーに加わったトゥ・ルミと同じぐらいの年齢のオーボエ(イングリッシュホルン)奏者のことを思い返した。覚えのある顔立ち。しかし、こんなに若い演奏者とどこで何の機会だったのか、まるでわからなかった。

 彼は人の顔と名前を記憶し留めておくことには、自信があるほうだ。彼の練習の際の厳しい態度は有名だが、一方で演奏者たちの信頼を得ていたのには、名前や演奏の特徴をしっかり覚え、的確な指示を与えていることによるからだ。
 
 例えば隣国チェコのブルノフィルハーモニー管弦楽団に客演した際のこと。

 久しぶりに同じ舞台に乗ることになったあるホルン奏者は、前回カン・マエが言ったことを踏まえての指摘に驚かされた。ずいぶん前の、ほんの些細なことだったからだ。

 しかし、そんなカン・マエがミシェル・マルタンという名の若い女性の面影だけに覚えがあって、ほかのことは何一つ思い出せない、というのはどういうことだろう。細身で深い茶色のウェーブのかかった髪、色白で細い顎。目元も鼻筋も、フランス人としては珍しくないはっきりした顔立ちである。

 彼は欠落したかのような記憶が気になるが、ひととおり考えてもわからないので目の前の作業に集中した。

 
 週末の公演は冬の季節に最も人気の高いプログラムの一つ、オールシベリウスである。
 一曲目は「悲しきワルツ」、暑い夏の盛りでもでもフィンランドの雪景色が容易に浮かぶ曲である。冬であれば、その風景の広がりと冷気まで感じられることだろう。

 そして二曲目は華々しいヴァイオリン協奏曲ニ短調 。バイオリニストであった作曲者自身、唯一の協奏曲である。第一楽章の冒頭部分は「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように」演奏するようにとの作曲者自身の言葉にあるように、ソリストはバイオリンを鳴り響かせなくてはならない。

 メイン楽曲はフィンランドの叙事詩「カレワラ」を題材にした、レンミンカイネン組曲四つの伝説の交響詩、「レンミンカイネンとサーリの乙女たち」「トゥオネラのレンミンカイネ」「トゥオネラの白鳥」「レンミンカイネンの帰郷」。レミンカイネンとは、文学や音楽において民族色を表すのに最も適した、フィンランドでは誰もが知っている自由奔放なキャラクターだ。

 アンコールには荘厳な弦楽合奏、アンダンテ・フェスティーヴォが予定されていた。


 前回の演奏会のときに、カン・マエは新しく加わるオーボエ(イングリッシュホルン)奏者のことを気にしていた。メイン楽曲のなかの「トゥオネラの白鳥」に重要な役割を果たすからだ。黄泉の国の湖に浮かぶ、白鳥は死せる魂を運ぶ、その姿を表すのがイングリッシュホルンのソロ。高音域の管楽器を含まずトゥティの割合が少ないのが特徴であるから、独奏者いかんでは曲が台無しになってしまいかねないのだ。

 急なオーディションで人選は難航したが、今日のミシェル・マルタンの演奏が期待以上のものでカン・マエや関係者は胸をなでおろした。

 ほかの問題は幾つかあったが、指揮者の意向に沿って一応の解決をみた。まだしっくりこないところがあるが、それは明日修正できる範囲と考えていた。

 カン・マエはサインを終えた書類をデスクに揃えて置き、内線で担当者にその旨を伝えた。

 立ち上がって、窓の外を見ると街明かりとともに雪がちらつき始めた。彼はコートを羽織り、ルミが二ヶ月前の誕生日にと贈ったバーバリーのマフラーを丁寧に巻いた。

 ルミを思い出し、そして同じぐらいの年齢である、ミシェル・マルタンのことを再び考えた。確かに、この名を聞くのも知るのも疑いようもなく全く初めてだ……。
 

 コンサートホールからタクシーに乗り十分程度で、ホテルに着いた。
 グラーツはウィーンから日帰りできる距離ではあるが、さすがに連日はきつい。それに、ルミが韓国にいるのでウィーンの自宅に帰る意味はないどころか、広々としたアウトバウは彼女の不在が堪えるだけなのだ。出先にいれば、少しはましである、とそのようなことを考える自分が情けないとも思うがしかたがない。

 風は日中よりも更に強いことをカン・マエは感じつつ二重ドアを通って、暖かいホテルの中へ入った。現代美術館のようなエントランスからロビー、東洋的な味わいのあるオブジェや絵画などが飾られていた。広いラウンジンは食事時にかかるからか、空いた席ばかりだ。壁面に飾られた大きなタペストリーに見入っているらしい、女性客がひと組。

 フロントに向かって歩きだしたとき、「ゴヌ!」と誰かが呼び止めた。

 カン・マエは、足をとめて振り返った。呼び止めた女性は、彼を実名そのまま呼んだことから古い知り合いだと思ったが、やはりそうだった。ルネ・サン=ジュスト、その人はウィーン音楽大学の同級生、フルート奏者であった。遠い記憶から甦ったそのとき、この日の疑問はすっかり氷解した。

「ゴヌ、お久しぶりね。」
 カン・マエが訊ねようとしたら、先に彼女がそう言った。
「全く、ひさしぶりだな」
 カン・マエの頭のなかは、学生時代の風景が次々と浮かんでくる。
「姪が、今日からグラーツユーゲントに入ったの。指揮があなただとは知っていたけど、ここで会えるとは思わなかったわ」

 やはり。見覚えがあるのに、ほかに何も思い出せないという、いわば記憶の混乱の原因がわかり、カン・マエはなぜかホッとした気持ちになった。

「ミシェル・マルタンは……。」
「ええ、彼女は姉の娘よ。似ているでしょ。私たち叔母と姪というより、姉妹によく間違われるのが自慢なの」
 ルネは優しい顔立ちを尚いっそう緩めて笑った。

 よく似ているとは言えないが、雰囲気がまるで写したかのようだった。ルネ・サン=ジェストが若かった頃の、ミシェルのふっと顔を上げた一瞬の表情が際立って似ているように思った。

 
 ミシェル・マルタンは、向こうから叔母に向かって歩いてくる。訝しげな表情なのは、叔母が背を向けている長身の男とニコニコと笑顔で話をしているからだ。カン・マエは後ろ姿なので、まさか先程まで同じリハーサル室にいた指揮者だとは気がつかなかった。

「ルネ」
 ミシェルは叔母であるルネ・サン=ジェストに声をかけた。と、同時にカン・マエは向き変えた。
「あっ、マエストロ……」
 ミシェル・マルタンは驚いて目をしばたたいた。
「あら? 話さなかったっけ? 同級生だったって。」
 叔母が微笑みながら言うと、姪はまだ目をパチパチさせて言った。
「知っているけど、まさかそんなに親しいなんて」
「親しい……かな……?」
 ルネは楽しげに言った。
「マエストロ、叔母とは?」
 彼はふっと息を漏らし、頭を振った。
「私は彼女の親しかった人物と親しかったんだ」

「彼の親友のチョン・ミョンファンと室内楽を何度も組んだって、言わなかったっけ?」
 ルネ・サン=ジェストは、イングリッシュホルンのソロの大役を務める姪に早口で言った。
「何気なく言うけど、ルネは韓国の著名な指揮者二人と旧知の仲ってこと?」
 ミシェルは目を丸くして、叔母と指揮者を見つめた。
 

 三時間後、カン・マエはホテルの最上階にある、バーにいた。
 大きなガラス窓で、外界がそのまま楽しめる。もっとも、雪の舞う夜に星明かりもなく、街の灯りもどこか寂しげに映った。
 軽いサンドイッチとクラッカーに生ハム、チーズ、そして赤ワイン。
 姪との夕食を終えて、ルネ・サン=ジェストはやって来た。そして、彼女の後ろからテオドール・ヤンセンが姿を現した。彼の叔父はカン・マエの大学時代からの先達である、クリストフ・ヤンセンであった。

 クリストフ・ヤンセン、巨匠と言われた指揮者の不在を彼が埋めただけでなく、新しい満足をクラシックファンに与え続けてすでに長い年月を得ている。名演や名録音も数しれず、そして後進の指導にも力を尽くしていた。カン・マエがヤンセンに師事したとき、十八歳。アメリカのフィラデルフィアにあるカーティス音楽院で出会い、教授ヤンセンがウィーン音楽院に移るのに伴って、若き日のカン・ゴヌもウィーン音楽大学へ編入したという経緯があり、彼の子どもや甥姪たちともカン・マエは会っている。ヤンセンは折々に若者を集めてホームパーティのようなことをするのが好きで、カン・マエは不本意ながらもときどき加わっていた。

 テオドールは、カン・マエとルネ同様にウィーン音楽大学の出身である。彼は演奏家にはならず、今はオペラの舞台監督になった。ルネはテオドールがグラーツにたまたま来ていることを知り、旧交を温めようと呼んだのだった。

「お待たせ、ゴヌ」
「久しぶりだな、ゴヌ」
「ああ。全くだ」
 ルネカン・マエの飲むワインに目をやり、「テオ、あなたもワインでいい? これ味良さそうよ」と訊ね、店員にグラスを二つ頼んだ。

「ずっとアメリカだったと思ったが……」
テオドールは、ルネに言った。
「そうよ、ずっと西部にいたわ。本当に最近こちらに戻ったの。たぶん、もうアメリカには戻らないかな……」
 彼女は結婚してアメリカに住むようになったはずだ。戻らないとは、穏やかならざる人生なのかもしれないが、薬指のプラチナの結婚指輪はくすんではいても、かすかな輝きを残していた。 

「ミョンファンにね、ここへ来る前に会ったわよ。驚いたわ、彼も出世したのね、ニューヨークフィルハーモニックの常任なのね」
「君は確か、ミョンファンとは」
 テオドールは長い間の疑問を口にした。
 カン・マエも同じことを考えいてた。カン・マエの記憶にあるルネは、いつもミョンファンの近くにいた。あの頃一番長い期間一緒にいたのがルネ・サン=ジェストで、あっちこっちに手を出すミョンファンに辛抱強く付き合っていたと思っていた。
「あら、あなたまでそんな誤解を?ゴヌも?」
「誤解? 公認の仲ではなかったか?」
 テオドールがそう言うと、彼女は頭を振りつつ、さも可笑しそうにふふっと声をたてて笑った。
「まあ、よく彼には伴奏してもらったり、いろいろ話はしたけれど。」
 しょっちゅういろいろな女と浮名を流しながらも、若いのになんて寛容な女だと、思い込んでいたのはカン・マエだけではなかった。

「違うわよ。誤解されていることは知っていた。私はあの頃恋愛なんかしている余裕なかったわよ、貧乏学生だっただけでなく出来も悪くていつ奨学金が打ち切られるかって心配ばかり。練習しているかお金のことばかりで」
 しかし、解せなかった。なぜ誤解を解かなかったのか。
「それは……、誰にも言えない深いわけがあって。たぶん、いえ、もうたぶんではないわ。やはり、と言ったほうがいいわね。あの頃からだいたいわかっていたのだけど……私とのことが誤解されていたのはね、カモフラージュにはもってこいだったみたい。私にとってじゃなくミョンファンにとってね。近いうちに時間をとってあなたたちにその話をしたいそうよ」

 テオドールは、驚いた顔でルネをまじまじと見つめた。
「ゴヌ、おまえは同郷のよしみで何か聞いているんだろう?」
 自分だけが蚊帳の外か、といったふうに不満気に訊ねる。
「いいや。わけがわからん。同じ韓国人だからあえてあまり近づきたくはなかったのだが、なんだかんだと関わりたがって、あることないこと何でもペラペラしゃべる奴だった。秘密にしておくようなことも言うから、隠すようなことがあるとは思ってもみなかったな。……つまりは、一番肝心なことは言わなかった……」

 ルネはカン・マエの言葉に深く頷いた。
「言えなかったのよ。ミョンファンは、手が早くていろいろな人と付き合ったりその場限りの馬鹿げたことをしていたけど、そうやって寂しさや虚しさを消したかったのだと思う……これ以上は本人から聞いてね」
 ルネの目が一瞬潤んだように見えたのは、気のせいだったか。ダウンライトの光とアルコール、そして遠い日への感傷のなせるわざかもしれなかった。

 話題は昔話から近況のことになり、テオドールが手がける二年後に上演が予定されているベルディのオペラ「リゴレット」の話に移っていた。そのシーズンはベルディとワーグナーという、両巨星の生誕百五十年を迎えるため、テオドールの舞台監督の仕事は忙しくなりつつあった。


 ホテルの部屋へ戻りカン・マエは、ぼんやりとミョンファンとルネの卒業演奏の舞台に上がったときのことが浮かぶ。次第に鮮明になる記憶とは対照的に、ルネのチョン・ミョンファンの話はまるで理解ができなかった。あまりに中途半端でありまたカン・マエの全く預かり知らぬ話である。
 いつかミョンファンが、弟子のゴヌの件でソクランの家に訪ねてきたとき、王道を歩むがゆえの葛藤を告白したことを思い出した。見かけと心のなかは誰でも別である、普通のことだがまだ何かあるのだろうか。しかし、それは彼の問題であり詮索する必要を感じなかった。
  
 カン・マエはシャワーを浴び、くつろいだ姿でモバイルパソコンを開け、メールアカウントを開く。
 そのなかに、韓国にいる彼の付き合い始めてまだ一年にもならない若い恋人からのメールがあった。彼は、ふっと表情を緩ませメールを読み始めた。
 トゥ・ルミのいつもながら長いメールには、テレビで北国の冬のドキュメントを観たこと、シベリウスの楽曲がBGMで多用されていたこと、カン・マエの公演が聴けなくて残念だといったことが、細々と書いてあった。
「ちょうど本番の時間は、家にいられるのでシベリウスを聴いています。成功を祈っています」と結びに書かれていた。ゆっくり読み返しながらカン・マエは前回会ったときの、彼女の白い頬の感触を思い出していた。


 コンサート当日、大通りに面したシンフォニーホールの入口はたくさんの人で賑わっていた。 
 前回のマエストロ・カンとこの将来を嘱望される若手集団のオーケストラの演奏は評判となり、客席にはリピーターとともに友人、家族、恋人など何人かを伴って、また新規のクラシックファンで席はすっかり埋まっていた。「悲しきワルツ」作品44-1、ヴァイオリン協奏曲 ニ短調作品47、レンミンカイネン組曲(4つの伝説曲)作品22。その期待に十二分に応え、グラーツの冬空の下シベリウスの雄大かつ繊細な響きは、聴く人の心に沁み渡った。長い拍手によって指揮者と演奏者は讃えられた。イングリッシュホルンを担当したミシェル・マルタンは楽団員からも大きな称賛を与えられた。

 アンコールはアンダンテフェスティーヴォ、弦楽器のみの合奏はおよそ四分。光の中を聖者がうやうやしくもゆったり歩むようである。最後に彼が振り返り微笑むかのように、曲は終わった。
 全ての残響が消え、カン・マエがタクトを下ろし客席に体を向けたそのとき。力のこもった拍手が滝のごとく鳴り響いた。
 
 カン・マエは、指揮者控え室に戻る途中も、関係者から賛辞の言葉をかけられた。
 彼は用意された部屋のドアを開けようとしたとき、ホールのスタッフらしい人物が近くに立っていたので思いついたように言った。
「君はしばらく、ここにいるのか? ならば、少しの間指揮者室のドアを誰もノックしないように頼む」
 
 
 大仕事を終えた指揮者は部屋の戸を閉め上着を脱ぎ、ほっと安堵の息を吐いた。そして応接セットに座り、モバイルパソコンを開ける。
 スカイプがトゥ・ルミのパソコンはオンラインを示していたので、彼はすぐにコンタクトをとる。彼女はいそいそとパソコンの前に座った。前髪をクリップで留め、栗色の髪が豊かに頬の横を流れている。ウェッブカメラを通して、手を振るルミはウキウキした顔である。
「先生、公演は終わったばかりなんでしょう?」
「そうだ」
 カン・マエの短い返事にも、ルミには上機嫌であることがわかった。
「うまくいきました?」
 ルミの弾んだ声が、カン・マエの耳に心地よかった。
「当然だ」
 愚問だと言わんばかりの、物言いだ。
「もう、先生ったら。でもきっとそうだと思いました」
 カン・マエは悠然と頷いた。
「今ね、先生の指揮を思い浮かべてプログラムの曲を聴いていたんですよ」

 ルミはシベリウスの曲を聴いて感じたことや、冬の風景についておしゃべりを始めた。最愛の男が仕事を終えてさっそく連絡をくれた、という喜びに口調もなめらかである。

 カン・マエは無邪気にしゃべるルミをじっと見ていたが、唐突に遮った。
「……ルミ、目を瞑れ……」
「……先生、どうして?」
 トゥ・ルミは、彼の目に見据えられるようで困惑気味だ。
「いいから、早く目を閉じろ。」
 彼女は疲れている彼を苛立たせたくないので、言われたとおりにした。

 目を閉じたパソコンの画面の恋人の白い頬を唇の輪郭を、カン・マエは長い指先で愛おしげになぞる。しかし無機物の画面をなぞっているに過ぎないのだ。
「先生……、もう目を開けていい?何を考えているの?」
「おまえは……?」
「……ん、もう、先生って質問返しばっかり……先生の顔が見えないから、言おうかな」
 ルミはいったん口をつぐみ、そして恥ずかしげに呟くような口調で言った。
「先生の指先が頬に触れてるの。いつもはオーケストラのためにある手が、私だけのものになっているみたいで嬉しいの。本当にそうだったらどんなにいいか……ほんの刹那の瞬間でも……」
 目をしっかり瞑っているルミが、たった今していることを言い当てあてられたようで、カン・マエはドキリとした。そして、自分と同じことを考える彼女への熱い思いがこみ上げた、と同時に画面に触れる指先の硬質な感触が不思議と柔らかくなったような気がした。

 彼は満足げに、画面から指を離した。
「おまえは相変わらず単純だな。その緩みきってる顔をなんとかしろ。いい年してみっともない」
 カン・マエの相変わらずの口調に、ルミは反射的にぱっと瞳を開くと、口調とは反対に歳上の恋人の自分にしか向けない優しい眼差しがそこにあった。ルミそんなカン・マエにドギドキして恥ずかしそうに下を向いた。
 そして大事なことを思いついたように、言った。
「あ、先生。私は嬉しいけどきっと楽屋を訪ねたくて待っている人がいるんじゃないですか? また後でゆっくり話しましょ」

 モバイルパソコンを通しての会話は終わり、カン・マエは目を伏せてふっと息を吐いた。

 カン・マエは可愛い恋人の温かい笑顔をみているうちに、コンサートの本番の張り詰めた感覚と筋肉の疲労が軽くなったように感じられる。まるで細胞の一つ一つが、トゥ・ルミに癒され安らぎを与えられたかのようだった。


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